夕方にチョンガレが帰って来ても、女房は平気で坊主のところにくっ付いているし、チョンガレも独りで煮タキして独りで寝る……おおかた 法衣 ( ころも )と女房の取り換えっこをしたのだろう……というのが村の者の解釈であった。 早くから奥様とお子さんをお 亡 ( な )くしになってから熱心な 基督 ( キリスト )教信者となって、教育事業に生涯を捧げると言っておられる立派なお方です。 ことによると、眼の前に突立っている若林博士も、何かしらエタイのわからない掴ませもので、何かの理由で脳味噌を蒸発させるかどうかしている私を、どこからか引っぱって来て、或る一つの 勿体 ( もったい )らしい錯覚に 陥 ( おとしい )れて、何かの役に立てようとしているのではないかしらん。

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医師法 違反 ( いはん )になりはしませんか」 相手は静かに私の瞳を凝視した。 どこから手を入れて 螺旋 ( ねじ )をかけるのか解らないが、旧式な唐草模様の付いた、物々しい恰好の長針と短針が、六時四分を指し示しつつ、カックカックと巨大な真鍮の 振子球 ( ふりこだま )を揺り動かしているのが、何だか、そんな刑罰を受けて、そんな事を繰り返させられている人間のように見えた。 世間一般が 大切 ( だいじ )がる常識とか、規則とかいうものを遥かに超越しているばかりでなく、冗談半分とはいいながら、自分自身をキチガイの標本ぐらいにしか考えていない気持を通じて、大学全体、否、世界中の学者たちを馬鹿にし切っている、そのアタマの透明さ……その皮肉の 辛辣 ( しんらつ )、偉大さが、私にわかり過ぎるほどハッキリとわかったので、私は唯呆然として 開 ( あ )いた口が 塞 ( ふさ )がらなくなるばかりであった。

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謝恩会のあったその日の夕方に、新しい洋装とハンドバッグ一つと言う身軽い 扮装 ( いでたち )で、両親に別れを告げて、家を出るには出ましたが、その足で直ぐに殿宮視学のお宅をお訪ねして、イヨイヨ大阪へ行きますからと言って、無理にアイ子さんを誘い出しました私は、一緒に西洋亭へ上りまして、二人で思い切り御馳走を 誂 ( あつら )えて、お別れの 晩餐 ( ばんさん )を取りました。 一時間ばかり走って、やっと都の中央の、 目貫 ( めぬ )きの処に開業している、遠藤という耳鼻咽喉科病院の玄関に乗りつけた松浦先生は、滝のように流るる汗を拭き拭き、通りかかった看護婦に名刺を出して診察を頼んだ。 これは決して法外に安い給料とは思わなかったが最近、彼女の功績を大いに認めなければならぬ状態を認めて、姉や妻と寄々相談をしていた次第であったが、折も折、ちょうどそのさ中に、実に奇妙とも不思議とも、たとえようのない事件が彼女を中心にして 渦巻 ( うずま )き起って、遂に今度のような物凄い破局に陥ったのであった。

それじゃアまアお話ししてみますが、あの婆さんは毎月一度 宛 ( ずつ )、駅の前の郵便局へ金を預けに行く時のほかは滅多に 家 ( うち )を出ません。

Love After Death 死後の恋 日本文学英訳アンソロジー『Modanizumu: Modernist Fiction from Japan, 1913-1938』[2008年2月]に収録)• 又は生き霊、死霊の 所業 ( しわざ )と。 親子兄弟、親類 眷族 ( けんぞく )、 嬶 ( かかあ )も 妾 ( めかけ )ももちろん持たない。 そうしてその途中か、又は、その前かわからないが、一個月ぐらい 以前 ( まえ )に、頭をハイカラの学生風に刈っていた事があるらしい。

絶対絶命の [#「絶対絶命の」はママ]一所懸命な気持から、 果敢 ( はか )ない万一を期したものではあるまいか。 そんなに 贅沢 ( ぜいたく )な処ですか」 「贅沢にも何にもスッカリ南洋式になっている、享楽の豪華版なんだ。

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卒業論文としての点数も 零 ( ゼロ )である……という事に諸君の御意見は一致しているようである。

それからツヤ子さんの 仇敵 ( かたき )と思って、いつもジロジロ様子を見ていてやったわ。

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……と思う間もなくどこの何者とも知れない女性の叫びに 苛責 ( さい )なまれ初めた絶体絶命の 活 ( いき )地獄……この世の事とも思われぬほど深刻な悲恋を、救うことも、逃げる事も出来ない 永劫 ( えいごう )の苛責……。 それからポツポツ起きて重箱の中のものを 突 ( つ )ついて夕飯にする。

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あの先生は……」 私は幾分、皮肉な語気でそう言ったつもりであったが、彼女はもうトックに私のこうした言葉を予期していたかのように、私の顔をチラリと見るなり、淋しそうな微笑を横頬に浮かめて見せながら 点頭 ( うなず )いた。 ……事もあろうに過去と現在と未来と……夢と現実とをゴッチャにした、変妙奇怪な世界で、二重三重の恋に 悶 ( もだ )えている少女……想像の出来ないほど不義不倫な……この上もなく清浄純真な……同時に処女とも人妻ともつかず、正気ともキチガイとも区別されない……実在不可能とも形容すべき絶世の美少女を「お前の従妹で、同時に許嫁だ」と云って紹介するばかりでなく、その証拠を現在、眼の前に見せ付けておきながら、そうした途方もない事実に対する私の質問を、故意に避けようとしているかのように見えたのであった。

今のうちは、ハッキリとお解りにならぬ方が 宜 ( よろ )しいと思いますが」 と若林博士は私をなだめるように椅子の中から右手を上げた。