終わりに、 醤油 ( しょうゆ )について、ひと言申し上げておきたいと存じます。 今日 きょうも 月 つきが 辺 あたりを 照 てらす これが 僕 ぼくの 生 いきた 証 あかしだ 明日 あしたには 生 いきているのかな 明日 あしたから ちょっとばかり chottobakari 生 i きてみようかな kitemiyoukana でも demo 明日 ashita が ga 怖 kowa くて kute 引 hi き ki 篭 ko もる moru こんな konna 僕 boku でごめんね degomenne パパ papa と to ママ mama にありがとう niarigatou 学校 gakkou に ni 行 i くのはもうやめた kunohamouyameta 会話 kaiwa をするのが wosurunoga 怖 kowa くなる kunaru こんな konna 毎日 mainichi が ga 続 tsudu くの kuno 明日 ashita もきっと mokitto 独 hito りきり rikiri でもねまだねもっと demonemadanemotto 生 i きたい kitai 君 kimi が ga 大好 daisu きだから kidakara 過去 kako も mo 今 ima も mo 未来 mirai のことも nokotomo 全部 zenbu 全部 zenbu 愛 ai しているよ shiteiruyo 愛 ai されなくても sarenakutemo 良 yo いよ iyo 期待 kitai されないくらいが sarenaikuraiga 楽 raku だから dakara 周 mawa りと rito 比 kura べると beruto 自分 jibun が ga 弱 yowa く ku 見 mi えるけど erukedo 大丈夫 daijoubu、 僕 boku なら nara 大丈夫 daijoubu そう sou 願 nega っていたのは tteitanoha いつの itsuno 日 hi だっけな dakkena? ごつい鉋でゴツゴツ削るのでは、まったくかつおぶしを殺してしまって、百 匁 ( もんめ )の物でも五十匁の用にしかなっておらぬというようなことです。

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こういうことについては、なにもかも一応知って苦労をしておき、そして、 機宜 ( きぎ )の処置がとれなくてはいけません。 私の失望は 甚 ( はなは )だしかった。

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私はとうとう 須磨 ( すま )の方へ宿を替えることにした。 (私はへんに重々しげなアクセントによって彼が 露西亜 ( ロシア )人らしいのを認めた。 こぶの 出汁 ( だし )は、実に結構なものでありまして、さかなの料理にはこぶ出汁にかぎります。

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丁度その廊下の映っている鏡に向ってネクタイを何度も結び直しながら、あたかもそれがために 何時 ( いつ )までも愚図愚図しているかのように装って。

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私は鎌倉で陶器をやっていますから、そこにわずかの畑を持っていまして、だいこんでも 里芋 ( さといも )でもねぎでも、 採 ( と )りたてのものばかりしか食べていませんが、この採りたてのものは、質が違うと思われるほど 美味 ( うま )いものです。 ある題を得たならば、その題を箱でふせて自分はその箱の上に上り、天地 乾坤 ( けんこん )を 睨 ( ね )めまわすがよい。

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例えば湯豆腐を 拵 ( こしら )えるにしても、その豆腐のよいものを探し当てねばならない。 古人の 範疇 ( はんちゅう )を出た新しい句を作らなければならぬのでありますが、それでも俳句というものは伝統文芸として、 小説などよりも比較的古い匂いのするものであるということはまず頭においておかないととんだ 料簡 ( りょうけん )違いをするようになります。

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そこで距離をいうことに着眼してくるとただに「塀の下」「縁の下」では不満足になってきて、「塔の下より」とか、「鳥居の屋根より」とかいうふうに高い所を見つけたり、「 要塞 ( ようさい )門より」とか、「前の家より」とか、「城の 址 ( あと )より」とか、「 阿房宮 ( あぼうきゅう )より」とか、「隣り村より」とか、「吉田口より」とかいうふうにだんだん遠方から始まっていることを言おうとするのであります。 材料の精選とともに材料の原味を殺さぬこと、その味というものは、科学や 人為 ( じんい )では出来ないものでありますから、それを 貴 ( とうと )ぶのであります。

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